ノイズ主について少々考えてみる。
そもそも、ノイズ主は不必要な騒音をまき散らしている自覚はあるのだろうか。
自覚は・・・きっとないのだろう。
本当にアホなの?
もし、自覚して発しているのならば、完全なる嫌がらせ。
嫌がらせならば・・・どうする?
倍返し?
いやいや、無駄で無意味で不必要な騒音を、まき散らすことなんて出来ない。
自覚出来ないのか?
おのれの発する、
騒音に対して耳が麻痺しているかもしれない。
本当に便利な耳である。
基本的に、他人を見下しているから、
他人の環境なんて考えていない、考えられないのだろう。
ノイズ主は、
日本人としての所作を、どう認識しているのだろう。
現代のように雑音、騒音が無い時代、
人々は静かぁ~に生活していたと思う。
しずしずと歩き、
部屋に入る時は、座って襖 障子を開け、
閉める時も座って静かに閉めていたはず。
勢いで閉めるなんて、しなかったのだろう。
だから、半鐘の音で広範囲に危険、異常を知らせる事が出来たのかもしれない。
曲者の防犯に鶯張りとか玉石で対処出来た。
こんなガサツなノイズ主みたいな人、居なかっただろう。
もし、居たら変人扱いかもしれない。
そもそも、幼き頃に躾られなかったのだろうか。
自分は、「物は大事にしなさい。」と、教わりました。
物を大事に扱えば、おのずと物音がしにくくなる。
物にも魂が宿ると言う。
だから、大事に扱う。
乱暴に扱うと痛がるからね。
ごくごく、普通の事だと思っていた。
山奥などのライフラインの整っていない場所に行くと、
本当に現代の生活空間がノイズだらけな事を実感する。
日本人ならば遺伝子に組み込まれてしまっていて、
物を大事にし、静かに生活する事が自然に出来ると思う。
出来ないノイズ主はもしかして、
日本人ではないのか?
それとも、どこかで大事な何かが欠落してしまっているのか?
とても残念な人なのかもしれない。
そう考えると、哀れに思う。
けれど、不必要なノイズをまき散らすことは、
決して、断じて容認する事なんて出来ません。